2012/06/09

どんな本読んでるの?西村昌晃さん

軽装の人だ!
ほとんどのシーズンは半袖、半ズボンで過ごして大丈夫らしい
陶芸家である。
そして最近注目のスペースcafe and gallery 楽久登窯の代表である
「陶芸家」という職業のイメージは、出来上がったものを
「ワタシの求めているものはこれではなあ〜い」なんて言いながら
苦悩して作品を土間にぶつけてるイメージだったけど
なんだかずいぶん、カジュアルでゆるい雰囲気の人だ

西村くんが芸術家ぶった、いわゆる「シュっとした人」だったとしたら
彼のやってる事への賛同も変わるだろう
飾り気のない人柄、半袖(タンクトップの出番も多し)半ズボンで
しかもものすごく丁寧な物腰で接してくれる
そのへんの、作為の無さが好感度高しの一因のように思う


人を惹きつけて、人を巻き込む推進力を持っている
あんまり、読書してるイメージは無いけど
そんな人だからこそ、どんな本を読んでいるのかとても気になってきた
「西村くんどんな本読んでるの?」って聞いてみた
「本って最後まで読めないんですよお〜」
しかも最近読んで一番面白い本は「フェイスブックかなあ〜」
とのお答え
何度かのメールのやり取りのあと
「本を語るにはいっぱい読んでみないと語れませんから
正直、僕がアライ図書館で語るのは微妙な気がしています」
とのご丁寧なお返事。
そういうのも面白い!とあえて今回のアライ図書館は
「本を最後まで読めない人」のお話を聞いてみました
(下記は西村くんからのメールをまとめています)
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最近面白いと思っているのはfacebook。
facebookって答えたのは基本的に僕は人が好きで、その好きな人達の想い、興味、考え、が見えるからだと思います。

本の言葉って書かれた時とのタイムロスがあって、今はその人はそうは思ってないかも知れませんもんね。だから、今書かれた言葉が読めるフェイスブックの言葉のほうが自分の心には素直に響いてくるのかもしれません。

本の内容というよりはそれぞれの本が持つインクの匂いや、紙の質感からの影響は大きいです、図鑑なら図鑑の匂いと分厚いカンジ、手に取った時の重量、教科書には教科書の形や匂い。その重さや匂いを感じる事が「図鑑見てるなぁ~」ってよりリアルに感じます、地図とかもそうですね。
内容は大事ですが、僕は何かもっとその本の持つ雰囲気と付き合っているのかも知れません。そういう意味では、好きな本って聞かれると図鑑と地図かな!


僕が本を途中で読むのを止めてしまうのは、この言葉は今の自分にはまだ使えないと思ってしまうからかもしれません。書き手の本質にたどり着けない事があまり面白くないから本を途中で置くんだと思います。


その点、自分の周囲に居る人達との会話は、答えが見つからなくても、「ああだこうだ」と脱線しながらも、いくら語っても話は尽きません。そういう会話の時間が一番の自分の実になっていると思います。


僕は著名な方々の言葉や誰かが見つけた答えなどを特に欲していないんです。
それよりもっと身近な方々の想い、思考から学んで自分で模索して発見していく方がよっぽど面白いし、実際に使える知識になると思っています。
それは今の自分にあったちょうどいいサイズの言葉と空気に包まれるからかもしれません。


そして今なんとなく気づき初めているのは、健全なハートで突き詰めていけば、どの道を通ってもきっと同じような表現になってくるのかもしれないという事です。


まぁ、その辺の答えはこれからまだまだ先の話ですが・・・
でもそこに向かおうとするなら、いつかは先人達の言葉を知恵や想いを、本を通して学んでいきたいと思っています。


もしかすると僕の今までの人生は、そういう先人達の想いを理解する基盤を作るために、次の世代にバトンを渡すために、出会いを繰り返しながら日々を楽しもうとしてきたのかもしれません。


壮大な話になってきましたが「面白い」ってそういう事ですよね。


今回もそうですがテーマを与えられて、何かを伝えようとする度に自分の中に蓄積されていたモノを呼び覚ましひとつの線を作ろうとしている。それを人に伝えるために形にしたモノが本なんでしょうね!


来年、針山千賀子さんに協力していただいて樂久登窯から本を出します。
写真中心の構成になると思いますが、今年は学びの多い一年になりそうです。
ポイントは制作過程をいかに楽しみ切るか!だと思います


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「楽しいコト」「面白いヒト」への好奇心が旺盛で
「好きなモノ」に対する心の動きが正直だ
誰にでも、ものすごく好きだったものが
時の流れの中であんまり好きではなくなる事はよくある
でも、妥協だったり、付き合いだったりで
なかなか流れを変える事が難しくなるのはよくあることだ
その点、西村くんはものすごく正直だ
興味が無くなった事には「西村くん、これ好きだったよねえ?」と聞いても
「え〜僕そんな事言いましたあ?」くらいの興味の無さに振り子が振れてる
そのへんは、確信犯でやってるのか?
自覚は無く、本能的に動いてるのか?
ちょっと意地悪な質問も含め楽久登窯にお邪魔して色々話を聞いてみた

西村くんと話して思ったのは、まさに「今このひととき」を生きている人だと思った
それは刹那的という意味ではなく
ゴールのカタチを決めず、目の前にある興味のある事をやっていくうちに何かのカタチにたどり着いた時、そのカタチに対して「これが求めてたカタチ」だと思える人なのだろう、途中の試行錯誤もこのカタチへの道のりだったとものすごく肯定的に捉える事ができる。
この思考の前向きさ!これは本当に才能だと思う!

そして、来年は自分自身で企画した本を出版する予定だと聞いた
今まで、たくさんの人の言葉の中から自分に響くものを選んで受け取っていた側から、今度は不特定多数の人に発信する側に変わった時、西村くんの中にはどんな変化が生まれるのだろう
今回の西村くんからのメールの最後の言葉


自分で本を出したらもっと本を読むようになるかもと思っています、それは書き手の意図が気になるからです。モノ作りってやっぱり自分が体験することで学ぶ意欲が増すんだと思っています。
僕の場合は本気で本を読みたいと思うには、自分で本を作る事から始まるのかも知れませんね。


楽しみにしておきます!


2012/06/06

家族八景





作者 筒井康隆
文庫初版 1975年


70年代、SF小説なる分野に読書傾向が偏った一時期
小松左京、星新一、そしてこの筒井康隆が私の3大スターだった

小松左京も星新一も故人となってしまったが
この方は白髪、着流しの、シブイおじちゃまになって
関西ローカルの深夜番組で、たまあ〜にコメンテーターなどなさってる

「家族八景」
主人公の火田七瀬は人の心が読めてしまう超能力者なのである
高校を卒業して18歳で、お手伝いさんとして様々な家庭に住み込み働く
一話完結で8編、8家族の風景を映しだしている

どんな家庭でも、その家庭の事情がある
気付かないふりをして、なんとなく調子を合わせて平衡を保っているところへ
「七瀬」という異分子が入る事で自分の家の「不自然さ」に気付いてしまうようだ
美人で色っぽい18歳のお手伝いさんが来たら
オトーサンやムスコの心の中はいやらしい妄想でいっぱいになり
七瀬には、その心の声が聞こえるんだから、大変!

この本を初めて読んだ中学生の頃は
「もし今私の心が誰かに読まれていたらどうしよう」などと想像して
「考えない訓練」などもしてみたが…ちっとも実らないで今に至る

35年以上前に書かれた小説のせいなのか、そういう意図なのか
登場人物の心の弱さ、執着、そのへんの心理合戦が
ものすごく大げさでドロドロしている

「七瀬」という人物の描き方にも
作者自身の18歳処女に対する「おっさんの妄想」が色濃く出ているように思う
七瀬は傷つきやすい繊細な18歳として描かれてるのではなく
シニカルで少し意地悪な面もあったりする性格に設定されている
しかも
老いも若きも七瀬を見たら「イヤラシイ気持ち」にすぐなってしまうようだけど
みんながみんなそんな妄想するかあ?と突っ込みたくなる

再読してみて、中学生の頃に読んで感じた感想とは、まったく違う気持ちがわいてくる

いい意味で、これが書かれた時代の欲望はストレートで理解しやすい
そしてそれを求める気持ちの強さは、なんというか…ギドギドの肉食系なのだ

時代は随分変わり、草食系なる人物像が受け入れられる今
「欲望」の種類は多様化して、あまりにわかりにくい
そして隠す事に必死だった「心の声」は
ネットの中から聞こえてくるようになった
個人ブログ、2チャンネル、ツイッター、フェイスブック、etc…
たくさんの場所からたくさんの声が発せられている

「ムカツイタ」「好きになった」「感動した」
いったい何をわかって欲しくて発信しているのだろう?
多分、自分自身が一番、自分の本音が何なのかはわからないから
人の言葉に共感した時は、もうそれは自分が言ってる事のように思ってしまったり
自分に共感してくれる人には、親近感を感じたりするのだろうなあ

現代に、もし七瀬がいたら
「ワタシをわかって欲しい!」「ワタシって何?」
自分探しが大好きな人にとっては救世主かもしれない
「七瀬さん、ワタシの心を読んでワタシをわかってちょーだい」なんていう人が
けっこういるかもしれないね!