2012/01/22

アースワークスー大地のいとなみー






















著者のライアル・ワトソンは 植物学、動物学、人類学など各分野で
学位を取得しているマトモな人だ、ワトソン博士と呼ばれている
有名な長編も何編かあるし
1990年代には日本でもドキュメンタリー番組にもなっている

しかし学者として認められているのではなく
その独自の学説は、ニューエイジと呼ばれる人たちからは
一種の宗教に近い信望を得ていたり
学説の根拠となってる出来事には「ねつ造」だとの批判もあって
ライアル・ワトソンを読んでるっていうと
「あ〜あのトンデモ?」と返しを受ける事が多いのだ

しかも、Amazonでのこの本の説明は「ライフサイエンスファンタジー」となっている
サイエンスと?ファンタジー?同列で並べる言葉ではないような気もする
私なりに解釈してみたら
科学的根拠のある文章もあるけど
ここに書かれた説は「モノガタリ」だから、細かい突っ込みは止めてね!
ってとこなんだろうか

ワトソン博士はフツー学者と呼ばれる人たちが否定している
「見えないモノ」「大きなチカラ」などというあやふやなものを肯定している
そう…
私たちのまわりには「大きな見えない力」が働いているんだよ、と
そうでなければこんな進化の仕方はあるはずないだろう
どんな生き物もすべて「大きな見えない力」で繋がっているんだよ、と
全力で肯定している
しかも肯定をするための自然現象の撮影もちょっとインチキを使ったり
彼が目にした光景があまりにロマンチックすぎてウソクサク感じてしまう
例えば別の長編でこんなシーンを目撃した話がある

南アフリカで象牙乱獲により、たった一匹になってしまった象が
海を見下ろす高台で、海に現れたシロナガスクジラと
低周波を使ってコミュニケーションをしているシーンを見たという話

いい話だ、もうそのシーンを想像したら涙さえ出そうになる
だけど、その文章の美しさゆえに、ファンタジーになってしまう

しかしそれらの「大いなる力」を決して「神」とは呼ばず
新しい説を唱えて、「学説」として書いているところが
私が、ライアルワトソンという人をものすごく興味深く面白く思う部分だ

「アースワークス」に話をもどそう
12編の短編で構成されていて、読みやすい
1986年の発表なので25年の経過した年月の間に
実証されたり否定されたりしてしまった事も多々あるように思うが
「モノガタリ」として読むと十分に面白い

「水性のサル」と題された章がある
類人猿から現在のヒトへの進化の過程で
わたしたちの祖先は一度森を捨てて水の中で暮らしていたのではないかという説である

現在、ヒトの進化の説で正統とされているのは
今から2000万年前のアフリカ大陸
まだそこが温和な気候の時代には、体毛のある原始的な類人猿の集団が繁栄していたが
その後気候がどんどん乾燥して食料が乏しくなってしまったある時点で
これらの類人猿の何種かが森からサバンナ地帯へ移り
徐々に二足歩行をするようになって現在の人類へと進化していったという説だ
しかし
「アフリカの化石層の中には
それらの進化の説に必要な証拠の骨はまだ見つかっていない
わたしたち(直立し、体毛がなく、言語をもち、大きな脳が発達した人類)の
本当の起源は謎だらけなのだ」
とワトソン博士は語る
人類とチンパンジーは遺伝物質の98%近くが共通であるといわれる
ヒトがヒトである事を決めているたった2%の遺伝物質の中に
「サル」と「ヒト」が離れてしまった事実を説明する何かが含まれていて
人類のみがものすごいスピードで進化して現在の「ヒト」になり、サルはサルのままだ

それはなぜなのだろう?という問いにワトソン博士が用意した答えは
私たちの祖先は森を捨てたのち、サバンナの大平原に行くその前の何百万年かを
水の中で暮らしていたサル、つまり水生のサルだったというのだ
その証拠のひとつとして
人間の新生児は不思議にも、ほとんど生れた直後からうまく泳げること
そしてすべての人は顔が水につくと心拍が自動的に減り
体の酸素消費率が低下するという現象が反射的に起こることをあげている

また水に入ったことのもうひとつの影響が、私たちの性行動にも表れているらしい
水生動物はおおむね、腹と腹をつき合わせて交尾し、それ以外の方法をとることはかえって難しい。霊長類の中でこうしているのはわれわれだけで、他の類人猿はこれをしない。 
また四足より二足の方が早く動けるわけでも、エネルギー効率がいいわけでもない。
何百万年ものあいだ、多くの時間を垂直の姿勢で過ごしてきた水生のサルにとっては、陸上の生活に戻ろうとしたとき、おそらく二足で立つ姿勢の方がとりやすかったろうし、その方が自然だったろう

と、この説の締めくくりに書かれている
どうですか?
なるほどお〜っと思うでしょう?
なるほどお〜っと思う説と
よお〜く読んでみたら「それは無いだろう?」っていう説と両方が書かれている
そのへんがサイエンスとファンタジーなのだろう

2012/01/05

2001年宇宙の旅

2012年が始まった

幼い頃の私は2012年はどんな世界になっていると思っていたのだろう

通信手段ひとつを例に取ってみても大きな変化がある
大好きな男の子の家に電話するのも黒電話で
緊張しながら家族に本人を呼び出してもらっていた
激変する昭和のまっただ中で育った
30年後にはこんなに通信が簡易になるなんて想像さえできなかった

携帯電話を持ってない人のほうが不思議がられ
なおも便利さとスピードを求めてタブレット端末の普及へと移行してゆく現在
パーソナルコンピュータが各家庭にあるのも当たり前になり
あらゆる機械の制御がコンピューターにゆだねられている
私たちの生活の中で、いったい何がコンピューターに制御されていて
何が自分自身の手で制御できているのか
正しく判断できる力が今の私にあるだろうか?
そんな想いを抱きながら
この映画を思い出した

「2001年宇宙の旅」

スタンリーキュービック監督、脚本で作られている
原案製作の段階で
豊富な科学知識を持つSF界の大御所アーサーCクラークとアイディアを出し合い
クラークが小説として書き、そのあとキュービックが脚本を書いたらしい






20才くらいの時にレンタルビデオで映画を見た
導入部分に「ツゥアラトゥストラはかく語りき」という
有名なクラシック交響曲が鳴り響く
猿が骨を持って何かをたたいてる
宇宙船の中で人が冬眠している
宇宙船のコンピューターの名前はHAL
だいたいこのくらいまで見たらいつも眠ってしまってて
あっという間に一週間過ぎて
さっぱり意味もわからないまま返却するパターンが何度か続き
倍速ボタン押しながらの飛ばし飛ばし鑑賞をした結果
難解な映画が、ますます意味がわからず
映像の美しさのみに感動をして
それでも何かがわかった気になっていたあの頃の私

そして、クラークの書いた小説を読んでみた



















やはり大きなキーワードである「モノリス」の意味
HAL自身が意思を持って人を殺そうする意味
(本当にHALの意思なのか?)
「意味」を知って納得したいタイプの私には
小説を読んでやっと納得できた場面が多々ある
特に「モノリス」自体を見た事も聞いた事も無い時点で
画面に出てきた巨大な四角い物体の持つ意味など理解できるはずがない
映像が持つ力と、文章が持つ力の「差」のようなものを感じた

もちろん映像が持つ壮大さ
(製作された年代を考えると宇宙船とか宇宙服とかかなりイケテル)
そして全編鳴り響くクラシック音楽の効果のすばらしさは
映像でなければ味わえない

ストーリーはもう有名な作品なのでここではあえて紹介はしない

文明というものの到達点はどこなのか?とか
進化は誰のために?という根源的な問いをどこかに持ってるあなた
2012年の始まりに今一度
この「2001年宇宙の旅」読んでみて
そして、映像を今一度、見直してみるという
セットでの鑑賞をおすすめする