2011/08/28

アナクロニズム

「アナクロニズム」
著者 種村季弘
1985年(昭和60年)


目次をいくつかピックアップしてみる

地球空洞説
人間栽培論
モーゼの魔術
ロボット考
空飛ぶ円盤
第三の眼
……

これらの奇想にまつわる人や出来事をエッセイにしている
もし、最近に出版されてたら
「都市伝説」などという分野に入れられていたかもしれない
でも、巷の都市伝説とは、全く一線を画している

このエッセイの面白さは
具体的な文献の例をあげながらも
作者の文章があまりに淡々としゃれてるから
読んでるうちに
何が真実で、何が作り話なのかわからなくなってくる

例えば
地球空洞説について書かれたページを読めば

プトレマイオスの球殻宇宙論のあと、無限宇宙論の出現
300年を経てド・ジッター博士の誇張宇宙説により
再び有限な存在となったこの宇宙
天動説というひとつの命題が地動説という反対命題によって否定され
さらに、相対性理論によって総合されてゆくというのが
宇宙の成り立ちを論じた科学史上の通説とされる

などと、難しい説明が続き
「すっごいかしこい人が読む本やなあ、私には意味わからへんかも」
と思いながら読んでると

あまりに堂々と
地球の中身が空洞であり、内部には人間が住めるものである
という説を紹介をしている
具体的に地球のどこから中に入れるのかという地図も載せられ
天文学が太陽と呼んでいるものは「宇宙の穴」であると言い切っている

目次をチラッと読んだだけで分かるように、その他の説も
現代においては、迷信、奇想、妄想として片付けられてる説がほとんどだ
「トンデモ話」なる言葉があるくらいだから
こういう話を真剣にしてる人に会うと
苦笑してしまう人がほとんだだろう
私も、もちろん、21世紀に生きる現代人だから
読み物として楽しんでいるんだけど…

それなのに
それなのに

なんだか
私が信じてるこの世界は、私の思い込みで

地球は空洞で、レムリアやムーの人々が生活しているのかもしれない
ゲーテが語っている人造人間ホムンクルスは造られていたのかもしれない
眼病の特効薬は蟹の目玉50グラムとなめくじが効いたり
霊媒によって過去の思いが届けられたり
空飛ぶ円盤に拉致されたり…

そんな事も、もしかしたらあるかのも…
と読み返すたび、そんな気持ちになってしまう!

2011/08/24

ロビンソン漂流記

原作   ダニエルデフォー
発行   1719(イギリス)
訳    吉田健一(1951初版発行)


時間を忘れて読んだ
多分、小学校低学年10歳くらいの私

家のとなりの家畜小屋の低い屋根の上
干してあるふとんにねっころがっって
そんな自分を思い出す

















ロビンソンがひとつひとつ工夫してものを作っていき
とうとう土をこねて火にくべて「土器」を作ったシーンには
ものすごく感動して
「尊敬する人は?」って聞かれて
しばらくは「ロビンソンクーソー」って答えるくらいに
しびれてた!

モノを作る人に憧れる原点かも!?

最近になって、全訳版を読んだ

父親の教えに反発して家出、船乗りになって航海に出て遭難
運よく助けられ、商売も成功し、新しい土地でちょっと落ち着きはじめたら
生まれつきの放浪癖のせいなのか、ふたたび船乗りに
しかも目的は黒人奴隷をナイショで買うため
???
ふたたび遭難して、今度は無人島で独りっきりで生き残る

なんだかなあ…ロビンソンクルーソー
あんたも悪いところあるんじゃないの?
って突っ込みどころはいっぱい

そして、常にすべての出来事を
神の裁きに思ったり、祝福と捉えたり
生活の基本に神ありき
全訳版を読んでみて一番感じた事は
神の摂理とか、正義の問題に対しての、キリスト教的な倫理観が
この物語の本当の伝えたいところなんだろうと、いう事

書かれた頃の時代背景(18世紀のイギリス)が色濃く出ているので
スペイン人に対するイギリス人の悪意丸出しの考え方とか
黒人に対して、まったく人間扱いしていないその考え方とか
やはり、時代背景を知らなくては、理解できない部分が多い
なんといっても300年前だからね

ちょっと、大人の事情を知りすぎてしまった気分…
単純に冒険物語として再読したいなら
この物語に関しては子供向けのダイジェスト版で読む事をおすすめします!

2011/08/21

プラントハンター



初めて「プラントハンター」という言葉を聞いたのは
2008年、華道家の片桐くんの個展「凍土の星」での会場
この個展で使われてた土器を焼いた淡路島の陶芸家前田くんの風貌が
「プラントハンターの人に似てる!」という話題になって
この世の中に「プラントハンター」なる職業があるんだと認識した次第

早速、本人が書いてるブログを見つけて読んでみて、思い至った!

久住くんの話に時々登場していた「川西のせいちゃん」
この人のことやあ〜!と
直接の知り合いではないけど一気に親近感が増した

ブログが、面白い!
あまり植物に興味の無かった私だけど
仕事に対する姿勢、真摯さには打たれるものがある
そして、照れくさいからであろうチラッと時々出てくる悪ガキ文章に
「いいなあ男の子」と思う

この人の身体に走行距離のメーターついてたら
すごい数字になってるやろなあ…
とか、
時々勝手に突っ込み入れて更新されていくブログを読んでたら
どんどん有名人になっていって
とうとう、情熱大陸にも出演した!

この本も出版された

上手な文章ではないけど、人を引きつける
「え〜っ!そんな事ってありえるん?」と思える事も
彼のまわりには起こる
「それはどないするん?」と心配になるけど
なんとか、どうにかなる

すべてに一生懸命で、屈託の無い人のようだ
その屈託の無さが、たくさんの人を巻き込み元気づける
その屈託の無さを生み出しているもののひとつは
間違いなく「体力」だと思う
男の子はたくさん食べて、いっぱい動いて、大きな声出してたら
やりたい事をぶれずに持ってる人は
たいがいの事はうまくいくんじゃないかと思う
(そのやりたい事がぶれないっていうのが
一番、大変な事なんだろうけどね)

それでも
すべて上手くいくはずはない
本には書かれていないけど
ぐっと拳を握りしめてガマンした事もいっぱいあるだろう


こんな息子に「オカ〜ン」って呼ばれて
母の日に、おっかしな形の植物をプレゼントして欲しかったなあ〜


2011/08/19

百億の昼と千億の夜

奈良、興福寺の阿修羅像を知ってる? 
三面六臂の凛々しい少年の立像


教典によるともとはインド古来の異教の神で 
怒りや争い、戦いなどが好きな鬼神 
お釈迦様に帰依して、仏教を守る八部衆に入った 
…そうだ。 



この物語の主人公も「あしゅらおう」という
少女として登場する

















他の登場人物は


プラトン
シッタータ(釈迦)
ナザレのイエス
イスカリオテのユダ
ポセイドン


どこかで聞いたような名前が並ぶ
歴史上の人物なのか?
誰かの小説の作られた人物なのか
(聖書も、教典も、小説とよんでいいなら)
この物語だけのオリジナルの人物なのか?
よくわからなくなってくる


最初に読んだのは
少年チャンピオンに連載されてた萩尾望都のコミックスで
憂いある「阿修羅王」の眉のかたちが好きだった


中学生だった私には
このコミックスの世界観が、その後の私にとっての宗教観を形つくり
どんな哲学書より深くその後の人生観に影響を受けている


新星雲紀。双太陽青九三より黄色一七の夏。アスタータ50における惑星開発委員会は、<シ>の命を受けアイ星域第三惑星にヘリオ・セス・ベータ型開発を試みることになった。 
なんか、かっこいいでしょ〜!? SFでしょ〜!?

今まで聞いた事のないカッコイイ言葉がいっぱいあった


 アトランティス滅亡
 ソドムとゴモラ
 オリハルコン
 思考コントロール
 ディラックの海
 弥勒
 転輪王
などなど
意味はよくわからないけど、とりあえず、会話の中で使ってみたり…
理科のテストでまったく答えのわからない時は
「ディラックの海」って書いてみたり
冬休みの書き初めの宿題には
阿修羅王」と書いて提出したり
(だいぶイタイおかしな中学生だったようだ)


そこから、原作の三瀬龍さんの「百億の昼と千億の夜」を読んでみた
その頃の私にはあまりにも難しい文章と内容だったように思う
進化とは何?
誰が神を作ったの?神とは裁くものなの?
常に語られる終末論は洗脳?
何のための祈り?
人類はだだの実験だったの?


意味のややこしいところは飛ばしながらもなんとか読んでみた
コミックスとまた違う深い感動を感じた


すべての戦いが終わり、独り残ったあしゅらおうのつぶやきで
この物語は終わる



この世の変転は実はさらに大きな変転の一部に過ぎないのであり 
それすらさらに広大なるものの変転を形成する微細な転回のひとつにしか過ぎないというのか 
真の超越にいたる道はいったいどこにある 
すでに還る道もなく
あらたな百億の、千億の月日があしゅらおうの前にあるだけだった




15歳の私
この阿修羅王の孤独と永遠の戦いに
何かを感じたんだろうなあ…

2011/08/16

The Selby is in your place

最近買った本
トッドセルビーという写真家が
いっぷう変わった人の、職場や部屋を撮影してる写真集



トッドセルビーを知ったのは、カーサブルータス5月号の特集
写真からは、その被写体が持ってる
「オモシロサ」「ヘンなカンジ」が伝わってくる

ただの、インテリア本ではなくて
「カッコヨク」作っているんじゃなくて
きっと、トッドセルビーが被写体に興味を持って
「この人、どんなとこで仕事して
どんな人と暮らしてるんだろう?」
って思った人のお家へちょっとお邪魔して
写真撮ったんだろうなあ

カーサブルータスの紙面でトッドセルビー自身がインタビューに

「今も興味があるのは家じゃなくて、人なんだ
若い頃からちょっと変わった人に惹かれる傾向があった」

って答えてたり

「有名人の家ってだけで撮るのは好きじゃない
お金持ちがお金をかけてデコレートしたマンションが
面白いと思わないしミニマリストは退屈だ
僕がやりたいのは、面白い人たちがいて
そのひとたちが住んでる家がその人柄を反映してるっってこと」

と答えてる

最近、インテリアの本を眺めてても
なんか、面白くないなあ…って感じてたのは
きっと、その部屋に住んでる人たちの持ってるものが
「どっかの本で見た、あこがれの誰かの、あのセンス」
って感じてしまうからなんだろう。。。

この写真集に出てくる人たちの部屋は
散らかってたり
過剰にモノが多かったり(しかも、偏っている)
まったく動線なんて考えられてなかったり

正直、すべてをそのままそっくり
まねしたいと思えるインテリアなんてなかった
こんな落ち着かない部屋でよく眠れるもんだなあって思ってしまうくらい
でも
この部屋に住むこの人のところへ遊びに行きたいって思う

きっと、その部屋に、その人が住んでるって事が重要なんだ!
その部屋はその人そのものなんだって思わせるのは
その人自身の持ってる「何か」が大事なんだろうね

残念ながら、私の部屋は
「どっかの本で見た、あの人の、あのセンス」ってカンジ
でも、自分の部屋のこのカンジが一番、今の自分には落ち着く
フツーなんだなあ。。。私って。

2011/08/13

本棚

アライんちのリビングに置いてる、本棚
(誰にでも手軽に手に取ってもらえるようなものを置いてます)
気になる本、ありますか?




多分、一番よく読み返してるのは「かいじゅうたちのいるところ」
姪っ子たちのために
感情込めて、大きな声で読んでます