2011/11/06

君たちはどう生きるか

                 


著者 吉野源三郎















昔読んだのは、もっと古くさいしっかりした本だったような記憶がある
なぜ、その本がビンボーな我が家にあったのかは覚えていない…
誰かが買ってくれたのか、いただいたものなのか、定かではない…
だけど、なぜか本棚にあった

もし、「ビンボーながら熱心な教育を心がけた母」が購入したものだとしたら
私に対しては、ものすごくいい投資になっていると思う
(母に聞いてみたが、まったく記憶には無いらしい)

15歳の主人公の男の子が見たもの、感じたものを
自分の父親替わり(父親は亡くなっている)の叔父に話し、
その叔父(といっても大学卒業したばかり)が
ノートにつづる形で話が進行していく

多分私は小学生高学年くらいの時に読んでるんだと思う
その内容はものすごく心に染みていて、言葉の切れ端もミョーに覚えていた
特に天動説を信じる時代にあって地動説を唱えたコペルニクスを例にとり
主人公の少年がビルの屋上からたくさんの人や車の流れを見て
自分も広い世の中の一分子であると気付いた日の事を
少年にとっての「コペルニクス的転換」だと言って
少年に「コペル君」とニックネームを授ける冒頭の部分が印象に残っている

「コペルニクス的転換」略して「コペ転」
大人になって、誰かのエッセイの中で「童貞ではなくなった日」の事を
「オレのコペ転」って書いてあった人がいて
「あ〜この人も少年の時にあの本読んだんだなあ〜」と
会った事もない人の初体験で微笑ましい気持ちになってしまった

そんなこんなを思い出しながら、ふと文庫本が目についたので
今の私が読んだらどう思うのかなあって再読してみた

この文庫の初版は1982年だが、原著は1937年(昭和12年)となってる
(え〜っっ戦前???)

改めて読んで素直に思った
なんてすばらしい内容の本なんだろう

そして、自意識過剰でうっとおしい12才、13才の頃の自分を少し想う
私もこんな気持ちになったよなあ…って
そして自分の心の、中途半端な正義感や
深く考えようとする姿勢のルーツの一端はここにある事も気付いた


ニュートンがリンゴの落ちるところを見て
どうして「引力」というものに思い至ったかを考えてみる話がある
林檎の実が木から落ちる
林檎を木よりも高い所に持っていってみる
2百メートルでも落ちる
何千メートルでも落ちるだろう
でも何万メートルという高さを越して、とうとう月の高さまでいったと考えたら
それでも、林檎は落ちてくるだろうか?
重力が働いている限り、落ちて来る筈だ、だが、月は落ちて来ない・・・。
どうして落ちてこないのか?
そこにはどんな力が働いているのか?
そのように考えを広げていって「引力」という力にたどり着く

そしてコペル君は、幼い頃飲んだ粉ミルクが自分のところへ届くまでを考える
牛を世話する人、乳を絞る人、工場で粉ミルクにする人、運搬する人
汽船に上げる人、下ろす人…小売り店までくる間に、無数に人が関わっていること
自分が食べるものは、網目のような人間のつながりでできていること
ひとつの食べ物にもどれだけ多くの人が関わるかということを考え
「人間分子の関係、網目の法則」という名をつける

そういえば、この本を読んだあとは
「なんとかの法則」っていう言葉にすごく惹かれてたなあ

他にも、自分とは境遇の違う貧しい友達に対しての気持ちやら
友達を勇気を持って助けられなかった事で熱を出してしまった出来事とかが
各章に分けて書かれている
そしてコペル君へのアドバイスとして
文中で叔父さんが書いてるノートの文章が本当に「いい」のだ
貧しい友達に心を痛めるコペル君にこう書いている
いまの君にしっかりとわかっていてもらいたいと思うことは、このような世の中で,君のようになんの妨げもなく勉強ができ、自分の才能を思うままに延ばしてゆけるということが、どんなにありがたいことか、ということだ.コペル君!「ありがたい」という言葉によく気をつけて見たまえ、この言葉は,「感謝すべきことだ」とか、「御礼をいうだけの値打ちがある」とかいう意味で使われているね、しかし、この言葉のもとの意味は「そうあることがむずかしい」という意味だ。「めったにあることじゃあない」という意味だ。自分の受けている仕合わせが、めったにあることじゃあないと思えばこそ、われわれは、それに感謝する気持になる
そして正義についてのこの一言も深い
世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気迫を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ
少年少女に向けて書かれてるし
文章も、時代背景も随分古い

だけど読んでみて欲しい
だいぶ引き返せない年齢になってしまっていても大丈夫
忘れてた何かを思い出す
自分の子どもが「どうして?」って何かについて聞いてきた時の
自分の気持ちをまとめるヒントにきっとなる
そして、どこかのタイミングで子どもたちにもすすめてみて欲しい




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