2011/10/09

グアテマラの弟


「グアテマラの弟」
著者 片桐はいり

女優の片桐はいりさん
テレビで見てたら
個性的で不思議な人だなあと
思ってたけど

この本を読んだら
すごく好きになった

友達になりたい

旅のどこかでばったり会って
一緒にお酒をのんで
おかしなダンスを踊ったりしたいなあ〜





「人は見た目では無い」と簡単には言うけど
納得できない事が私には多々ある

この本の中でテレビに出始めた頃の事をこんなふうに書いてる
「今まで、もてあましていた細工の悪い四角い顔が
笑いばかりかそこそこのお金まで生む事を知ったのだ
埃をかぶったがらくたが
ちょっとしたお宝だったことを発見したような幸運である」

なかなかそんなふうに考えられる人は少ない
「演じる人」という自分とはまた違う自分を持つ事ができて
それが評価されて「仕事」になったから言える言葉なのかな
「片桐はいり」というキャラクターのインパクトは絶大だもの

顔が商売道具で、ベッピンさんだけが売りだと
衰えていく自分に納得がいかず、ちょっとつらい事も多いだろうけど
この人なんて年取れば取るほど、周りにもおかしな人が集まってきて
楽しい事が起こりそうな雰囲気に包まれている
うらやましいような、勇気づけられるような、そんな気持ちになった

このエッセイは、ある夏、片桐家の長女であるはいりさんが
年子の弟の住むグアテマラ、アンティグラを訪ね
体験した事、感じた事
そして家族を思い、その関係の変化などが主題

弟さんは学生時代にメキシコから南米の旅のあと大学院を卒業後
再び日本を離れ中米のグアテマラ共和国という国で暮らし始め
おまけにグアテマラ人の奥さんとその人の連れ子がいて
現地で語学学校やら薬屋さんやらを営んでいる 

ササイな出来事に民族性というものを感じる事は
差別的な意味合いではなく、ある
このエッセイで本物のラテンの人たちの様子を読むと
私たちが普段使う「なんか、あの人ラテン系やなあ」という意味が
まだまだ、アマイという事を教えられる
かなり、おおまかな性格の私も
ちょっと、ラテンの国の気質にはついていけないかも
と考え直さずにはいられない

目の前に待ってるお客様がいても
シエスタの時間は必ず守られる
他の事にはルーズなのにこの時間だけは厳守されるらしい
多民族が混血してるから見た目の個性が違ってるのは当り前
太った人に「ふとっちょさん」「おデブさん」的なあだ名は
ちっとも失礼な事ではなく、これも当り前
ほんの少しの仕事も分け合い
皿を洗う人はホントに皿を洗うしかしない
拭いたり、片付けたりは、また違う人の仕事
それを「効率」なんて言葉で「早く安く自分だけが儲けられるように」なんて
考え方をする人は少ないようだ

それにしても フツーの日本人はかなり窮屈に暮らしているなあと
再認識もした

おおげさでもなく、観光客目線でもなく
淡々とグアテマラでの日々を書いているが
目のつけどころが
「そうそう、もし私がその場にいても、それが一番気になるわあ」
と思う所が多い

片桐はいりさんは女優さんだし
ホントのところはわからないけど
でもきっと気の合う人のような気がした!!!


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