2011/12/04

巷説百物語
























京極夏彦の単行本の、ぶ厚さと重さは挑戦的だ
このぶ厚い本を読めるのか?と本が語りかけてくるようだ

いくつかのシリーズがある
代表的なものとして、第二次世界大戦後の東京を舞台に
京極堂という古本屋の主人と「見える探偵」の榎木津礼二郎
(探偵に何が見えるかは、読んでみてのオタノシミ)
その他個性的な友人たちを軸に置いた百器夜行シリーズ
このシリーズの何話かは映画化もされているので、知ってる人も多いかもしれない
しかし、この古本屋の語るウンチクといおうか、モノの理といおうか
ストーリーとは別に語られる部分が長い、とにかく長い、そして漢字が難しい!
一作目からして作品名が「姑獲鳥の夏」である、読めるわけがない
(ちなみにウブメのナツと読みます)
ダチュラの毒についてとか、世間で言われる「憑きもの」についてとか
興味がある人にはとても面白い話だけど
そこはなくてもストーリーは成り立つから、ついつい飛ばして読んでしまう
だけど、また気になって飛ばした部分も含めてじっくり再読してしまう

探偵、榎木津礼二郎を主人公にした短編集「百器徒然袋」は私の睡眠薬である
眠れない夜に少しずつ読み返す
10回以上は再読してる中毒ぶりだ

だけど読みやすさなら、まずはこちらだろうと思うので
今回は「巷説百物語」をおすすめする
「百器夜行シリーズ」とはのまったく別のシリーズとして
この「巷説百物語シリーズ」がある

江戸時代末期を舞台に、御行の又一と
戯作者になる事を望んでいる大店の若だんな百介を軸に書かれている

御行って現在では聞いた事の無い職業だが
魔除けの札を売って歩く職業らしい
現実に江戸時代にその職業があったのか?とか
小説を読んでるとフィクションとノンフィクションの部分がよくわからない事が多いが
京極夏彦の小説においては、そのへんはきっちり考証されている
だから普段「小説」というジャンルをあまり読まない方も読めると思う
特にこの「巷説百物語」は一話一話の短編がよく出来てる話なのだ
オチがちゃんとある
「腑に落ちる」という言葉はあまり使わないけど
読み終わったあとには「腑に落ちた」そんなカンジになる

4話めの「芝右衛門狸」は淡路島が舞台だ
淡路島で語られるのんきな芝居好きな狸の話も
京極夏彦の手にかかると
お殿様のオトシダネなる気の狂った侍の始末の話になるのである
なるほど、こうやって伝説などというものは作られていくものなのかと
小説とはいえ、ホント良く出来てる話なのだ

目に見えてるものだけが「真実」ではなく「偶然」も「奇跡」もなく
誰かが仕組んでいる
ちょっと必殺仕置き人を思わせるストーリー展開もあるけど
京極夏彦入門としては、まずこの一冊からを勧めよう
そして巷説百物語を少し休憩して
百器夜行シリーズに行って「姑獲鳥の夏」を読んで
シリーズを行ったり来たりするのがおすすめだ

全編を読むと2つは別のシリーズであるはずなのに
江戸時代の又一の仕掛けが、時代を経て
古本屋京極堂の憑き物落としの仕事に関係してきたりする
まったく小説の中の話なのに、その人間関係とストーリーのカラミの上手さに
どこで、この人出てきてたっけって気になって
読み終わったシリーズを、またまた再読してしまうという
不思議な本である









2011/11/18

山月記
























山月記(さんげつき)中島敦の代表作、発表されたのは1942年
中国の古い説話集を題材に書かれている短編だ

ほとんどの人は高校生の頃の教科書で読んでいるだろう
あらすじもなんとなくは覚えているだろう
「李徴はどうして虎になったのでしょう?」
なんて問題がテストで出されて、
優等生らしく「臆病な自尊心と尊大な羞恥心のため」と答えを書いたかもしれない

唐の時代、若くして博学秀才ともてはやされていた李徴(りちょう)
しかし地方の役人としての身分に満足せず、役人を辞め詩人として名を残そうとする
数年のち容貌さえ変わり果てるほどの貧窮に耐えられず、挫折し
妻子のために地方の役人の職をふたたび得て養おうとするも
かつて、自分より劣る存在としてバカにしていた同僚達は上司となり
今は李徴に命を下す存在となり
自尊心を傷付けらてしまった李徴は自己崩壊、そのまま山へ逃走
その数年後数少ない李徴の友人であった袁惨(えんさん)が山道で
虎に姿を変えた李徴と出会う
まだどこかに人の心を残す李徴は
袁惨に自分の作った詩編を書き記して残して欲しいと願う
袁惨はその願いを聞き詩編を書き記す

私はこの、袁惨が詩を賞賛しながらも心の奥で
「どこか非常に微妙な点において劣る点がある」
と感じてしまうシーンが悲しくてならない
李徴に対して悲しいのか
袁惨に対して悲しいのか、よくわからない
だけど、何やら悲しいやり取りなのだ

李徴はもう人に戻る事はない
後世まで語り続けられる「詩人として名を成す」という妄執に取り付かれ
「そうたいした事はない自分の才能」をどうしても
自分自身が認められなかった

国語の教科書では、きっとそのように「自我」を通す事の愚かさ
人の才能をを認めない傲慢さ
そのへんを、青少年たちに戒めとして、教訓として
この短編を掲載しているんだろう

確かに私も、自分自身の至らなさを認めるのは嫌だし
自分が誘われなかったパーティが「すごく楽しかった」
なんて話を後で聞かされると
自分の中にわき起こる妬ましい気持ちは否定できない
そんな時は
「そんな気持ちになったら虎になってしまうよ」と自分を戒めたりもしている

しかし、今回再読してみて、今までとは少し違う感想も持った
「虎として生きるのもかまわない」とい選択だ
この場合の虎の比喩は「犯罪者」とか「社会不適合者」という意味ではない
「あかん自分」を受け入れて、自分が楽に思える道を選択する事だ

李徴は「あかん自分」を受け入れる事ができない
そのまま役人として暮らしても絶対に心の平安を得られる事は
できなかったのだろう
しかし、世の中に認めれるほどの「才能」も無い
適当にうまく、周りと自分を合わせられる器用さもない

でも、もしかしたらその「あかん自分」さえ受け入れたら
きっと「虎」としての生き方も
こんなに早く走れる、こんなに高く飛べる
自由きままに虎もええもんやなあ…と思えるかもしれない

おりしも「国民総幸福量」なる言葉が話題になっている
何を「幸せ」と思うかは、時代、場所、環境、それぞれが関係し合う
ブータンの人が「幸せと思う暮らし」は
今のこの日本で暮らす人にとって「幸福」とは言い難いかもしれない

「幸せ」というのは、自分自身を肯定してもらえる事
そして自分で自分自身を肯定できる事に他ならないと思う

まあ…
「あかん自分」を受け入れられるくらいなら
李徴は、虎にはなってないだろうけどねえ


2011/11/10

バナナフィッシュにうってつけの日








D.J.サリンジャー
1943年













サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の読後感は
なんだか、わかったようなわからないような

私はモヤモヤしたまま、短編なら面白いのかもしれないと思って
この「ナインストーリーズ」にチャレンジ

9編の短編の中で一番印象的だったのは「バナナフィッシュにうってつけの日」
原題は [A Perfect Day for Bananafish]

ストーリーは
フロリダのリゾートホテルが舞台
主人公のシーモアは戦争からもどってきて、その疲れをいやすために
二回目のハネムーンにでかけた
彼の奥さんが母親と話す長電話の内容が延々続く(12ページほど)
どうやらシーモアは不可解な行動が多く、周りも心配してる様子
そして海へ出かけたシーモアと奥さんの友人の娘シビルとの
とりとめない会話が続く
その会話に出てくるバナナフィッシュの寓話が面白くて心に残った

バナナフィッシュはバナナがたくさん入ってる穴の中に入ってしまうと
入った時は普通の形をした魚なのに、猛烈にバナナを食べてしまって
食べ過ぎたあげく太ってしまい、二度と穴の外へは出られなくなって
バナナ熱にかかって死んでしまう

そんな話をシビルに話したあと、部屋へ戻って
拳銃で自殺してしまう

かいつまむとそういうストーリーだ
これもまた…わかるような、わからないような
この時代のアメリカの「戦争」
そして「バナナフィッシュ」が何の比喩なのか理解する必要があるのだろう
そもそも「無理に理解しようとする話」ではないのだろう
「何かを感じる」話なんだろう

とりあえず、自分の生活の中で当てはめてみて
過剰に「モノ」を摂取する事は
自分を肥大させすぎて身動きが取れなくなるから気をつけよう
というあたりで自分への戒めとしよう

いや!違う!主人公はシーモアなんだ
シーモアの心の繊細な動きを感じるんだと自分に言い聞かせてはみたが

だけどあえて思う
私はこういう繊細な心の動きを読むのは苦手だ
ウェットな話だ、だいぶ湿り過ぎだ
繊細な心の動きを感じれないなんて「ガサツな女だ」と
言われても仕方ない!
こういう繊細な主人公の心と共感して
訳された文章の見えない行間を読むような感受性の持ち主でなければ
「アメリカ青春文学」を理解したり感動したりするのは難しいのかもしれない
私には向いていない!

2011/11/09

ライ麦畑でつかまえて
























 私の20代前半
村上春樹の「ノルウェーの森」
そしてサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」
こういう本がバッグの中にさりげなく入っていると
とっても知的でオシャレな自分を演出できたものだ

私も知的でおしゃれな自分を演出したくて読んではみたが…
「いったい…何を言いたいんやろ?」という疑問マークが頭の中にいっぱいに

主人公の男の子ホールデンは、悪態をつきながらも
ナイーブすぎる心を持て余している
大人たちの予定調和的なウソっぽさに傷つきながら、自分を責めたりもする

この本を「若者達のバイブル」なんて言葉で紹介されてるのを見ると
理解できない自分は「純粋な感覚」も「少年の心」もなくしてしまった気がして
読み終えたあともなあ〜んかモヤモヤする
アメリカの青春文学は(そういう分野があるのかどうかわからないけど)
バックボーンとか、比喩が理解できていないと面白く思えないのか!?

ホールデンの本当になりたいものは「ライ麦畑のつかまえ役」
「空想のライ麦畑で遊ぶ子ども達が安全に遊べて
まして崖なんかに落ちないように見張っていてあげて
落ちそうになったら捕まえてあげる役」
多分、この本の題名にもからむ、いいシーンなんだろうけど
そのくだりを読んでも「あ〜やっぱり私にはわからん!」と

わからないので、ホールデンに手紙を書いてみた

「ホールデン
君の空想のライ麦畑では君の正義が唯一の正しい事なんだろう
君の仕事はとても重要で
たくさんの子供達が君を必要にしているように思うのだろう

そういう気持ちをずっと持っている事は大切な事なのかもしれないけど
でも子供達はちゃんと落ちないように遊べるよ
君が心配するより子供達はずっと大丈夫だよ

そして、見守って欲しいのはホールデン君自身なのかもしれないね
だけど私は、自分の身の回りの瑣末な事に精一杯すぎて
君が落ちないようにずっと見守ってあげる事はできない

だから頑張れ!自分で自分をなんとかしろ!ホールデン」


まったく情緒の無い手紙だなあ〜

2011/11/06

君たちはどう生きるか

                 


著者 吉野源三郎















昔読んだのは、もっと古くさいしっかりした本だったような記憶がある
なぜ、その本がビンボーな我が家にあったのかは覚えていない…
誰かが買ってくれたのか、いただいたものなのか、定かではない…
だけど、なぜか本棚にあった

もし、「ビンボーながら熱心な教育を心がけた母」が購入したものだとしたら
私に対しては、ものすごくいい投資になっていると思う
(母に聞いてみたが、まったく記憶には無いらしい)

15歳の主人公の男の子が見たもの、感じたものを
自分の父親替わり(父親は亡くなっている)の叔父に話し、
その叔父(といっても大学卒業したばかり)が
ノートにつづる形で話が進行していく

多分私は小学生高学年くらいの時に読んでるんだと思う
その内容はものすごく心に染みていて、言葉の切れ端もミョーに覚えていた
特に天動説を信じる時代にあって地動説を唱えたコペルニクスを例にとり
主人公の少年がビルの屋上からたくさんの人や車の流れを見て
自分も広い世の中の一分子であると気付いた日の事を
少年にとっての「コペルニクス的転換」だと言って
少年に「コペル君」とニックネームを授ける冒頭の部分が印象に残っている

「コペルニクス的転換」略して「コペ転」
大人になって、誰かのエッセイの中で「童貞ではなくなった日」の事を
「オレのコペ転」って書いてあった人がいて
「あ〜この人も少年の時にあの本読んだんだなあ〜」と
会った事もない人の初体験で微笑ましい気持ちになってしまった

そんなこんなを思い出しながら、ふと文庫本が目についたので
今の私が読んだらどう思うのかなあって再読してみた

この文庫の初版は1982年だが、原著は1937年(昭和12年)となってる
(え〜っっ戦前???)

改めて読んで素直に思った
なんてすばらしい内容の本なんだろう

そして、自意識過剰でうっとおしい12才、13才の頃の自分を少し想う
私もこんな気持ちになったよなあ…って
そして自分の心の、中途半端な正義感や
深く考えようとする姿勢のルーツの一端はここにある事も気付いた


ニュートンがリンゴの落ちるところを見て
どうして「引力」というものに思い至ったかを考えてみる話がある
林檎の実が木から落ちる
林檎を木よりも高い所に持っていってみる
2百メートルでも落ちる
何千メートルでも落ちるだろう
でも何万メートルという高さを越して、とうとう月の高さまでいったと考えたら
それでも、林檎は落ちてくるだろうか?
重力が働いている限り、落ちて来る筈だ、だが、月は落ちて来ない・・・。
どうして落ちてこないのか?
そこにはどんな力が働いているのか?
そのように考えを広げていって「引力」という力にたどり着く

そしてコペル君は、幼い頃飲んだ粉ミルクが自分のところへ届くまでを考える
牛を世話する人、乳を絞る人、工場で粉ミルクにする人、運搬する人
汽船に上げる人、下ろす人…小売り店までくる間に、無数に人が関わっていること
自分が食べるものは、網目のような人間のつながりでできていること
ひとつの食べ物にもどれだけ多くの人が関わるかということを考え
「人間分子の関係、網目の法則」という名をつける

そういえば、この本を読んだあとは
「なんとかの法則」っていう言葉にすごく惹かれてたなあ

他にも、自分とは境遇の違う貧しい友達に対しての気持ちやら
友達を勇気を持って助けられなかった事で熱を出してしまった出来事とかが
各章に分けて書かれている
そしてコペル君へのアドバイスとして
文中で叔父さんが書いてるノートの文章が本当に「いい」のだ
貧しい友達に心を痛めるコペル君にこう書いている
いまの君にしっかりとわかっていてもらいたいと思うことは、このような世の中で,君のようになんの妨げもなく勉強ができ、自分の才能を思うままに延ばしてゆけるということが、どんなにありがたいことか、ということだ.コペル君!「ありがたい」という言葉によく気をつけて見たまえ、この言葉は,「感謝すべきことだ」とか、「御礼をいうだけの値打ちがある」とかいう意味で使われているね、しかし、この言葉のもとの意味は「そうあることがむずかしい」という意味だ。「めったにあることじゃあない」という意味だ。自分の受けている仕合わせが、めったにあることじゃあないと思えばこそ、われわれは、それに感謝する気持になる
そして正義についてのこの一言も深い
世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気迫を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ
少年少女に向けて書かれてるし
文章も、時代背景も随分古い

だけど読んでみて欲しい
だいぶ引き返せない年齢になってしまっていても大丈夫
忘れてた何かを思い出す
自分の子どもが「どうして?」って何かについて聞いてきた時の
自分の気持ちをまとめるヒントにきっとなる
そして、どこかのタイミングで子どもたちにもすすめてみて欲しい




2011/10/27

山田脩二|日本旅1961~2010

山田さんの写真集を買った





現在、淡路島に住んでいて「カワラマン」となった山田脩二さん
「カメラマン」としてのお仕事
1963年から日本中あちこち、風景やら人物やら建物やら
くっきりしたモノクロの写真
写真をじっくり見る
なんだろう?
この圧倒的な「何か」の正体は?

1970年の大阪万博の太陽の塔の顔は悲しげに見えるし
2000年に撮られてる東京ディズニーランドも
山田さんの写真の中ではちっとも「夢の国」なんかじゃない
すべてがモノクロのせいなのか
農村やら、通りすがりの子どもやら、仕事の合間にくつろぐおじさんやら
あんまり人がたくさん写っていない写真からは
楽しさやら、活き活きさが感じられるのに
船橋ヘルスセンターやら東京ビッグサイトで写している
ものすごい数の「人間」の写真からは、寂しさや、コッケイさも感じる
私はこの何枚かのすごい人数が写ってる写真が
すごく気に入っている
「感じる」のは見たほうの特権だから
まあ、私は私が感じたままでかまわないんだろう

山田さんが酔っぱらって、へろへろしてる時に会ったら
ちょっとボケた老人かと思ったけど
色々な珍騒動やら武勇伝を聞かされてるから
勝手に親しみを感じてしまってる

正直いって「写真」の良さってよくわからない
「写真集」というものの面白さもよくわからない
山田さんがどれくらい有名でスゴイ人なのかもよくわからない
この写真集の後書きを読んだら
篠山紀信さん大崎紀夫さんとの対談で
ビミョーに褒められてたから、きっとスゴイ人なんだろう

そんな「スゴそうな人」オーラはちっとも出てなくて
普段でも酔っぱらってるのかシラフなのか良くわからない時もあるけど
話せば話すほど、好きになる
繊細で人を楽しませずにはいられないサービス心と
冴えてる言葉
チャーミングなおじーちゃんだなあと
私ごときに思わせてくれる

やっぱりスゴイ人なんだろうなあ〜
























山田さんちへ行った時にサインまでもらってきちゃいました



2011/10/23

どんな本読んでるの?平松克啓さん

淡路島を拠点に活躍中の一級建築士事務所「ヒラマツグミ」の代表


















私の周りには建築関係の仕事についている人が多い
設計、大工、左官、電気工、板金、etc…
その中でも設計を仕事にしている人には「独特な人」が多いように思う
なのに、平松くんの印象は、ホントに「フツー」だ

平松くんとはけっこう会ってるし、話もよくしてる
なのに名前を漢字に変換しようとしたらヒロの漢字が思い出せない
PCの変換機能を使っても、決定ができない
う〜ん、どんな漢字だったけ?
平松くんの誕生日が思い出せない、確か覚えやすい日だったんだよ
いつか聞いた事あるはずなのに
平松くんがいつ結婚したのか思い出せない
パリへ新婚旅行へ行った事は覚えてるんだけどなあ〜
おにーちゃんがいる事を何度も聞いて、やっと3人兄弟なんやと覚えた
(この原稿をチェックしてもらった時「妹もいます」と言われビックリ
そういえば、聞いた事あったような…ゴメン)
弟の名前を何度も聞き直す「さとしやった?」「まさしやった?」
「たけし」だ!やっと覚えた!
いったい何歳やったっけえ?
20代後半のような気もするし
もう30代になったような気もする??

そんなかんじで、ちょっと変わった人が好きな私の中では
びっくりするくらい平松くん個人への興味が薄かった
多分、私が20代の頃には、平松くんの良さは分からなかっただろう
「つまらんヤツやなあ〜」くらいエラソウに思ってた事だろう
今、人生も半ばをだいぶ過ぎる頃にして、やっと
こういうマジメな青年こそが「信頼できる」と分かってきた
(だいぶ遅すぎる)

平松くんは色んな人に、色んな事を頼まれる(本職以外でも)

そんな時も大風呂敷も広げず、大げさな謙遜もせず
やれる事をキチンとやっている
わからない事に対して、知ったかぶりはせず「わからない」と言える
そんな彼を信頼している人は多い
自分の事を面白おかしく話す事はなく、愉快でにぎやかというわけでもない
誰かに「平松くんってどんな人?」って聞かれても
きっと「オモシロイ人」とは答えない
だけど、イベントとかで、その場に平松くんがいないと
「あれ、平松くん、どこにおるん?」って探してしまう、そんな存在だ!


*下記部分のみ本人にメールで答えてもらってます
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1、自分の人生に一番影響を与えたって思う一冊は?






『建築を語る」
著者 安藤忠雄
     
















僕が本気で建築が面白いと思い
本気で建築をやるようになるきっかけを作ってくれた本をあげたいと思う。
田舎の高校で、建築家という職業があることすらほとんど知らなかった。
なのに何故か迷わず建築学科を選んだ。今思えば奇跡的である。
何も知らずに進んだ建築学科は、特に楽しいということも無く
淡々と日々授業をこなしているというだけであった。
そういうときにこの本に出会う。
簡単に言えば、この本で建築の面白さ、奥深さ、重要さ、大変さ、
などなどいろんなことを教えられることとなった。
そこで語られる建築は、思慮深く、魅力的で、それまで考えていた
物として単純に立ち上がっている以上のものが、そこにはあるんだと知った。
建築家といわれる人の建築に対する姿勢、素直な好奇心で建築を楽しみ
何か新しいものを見つけ出そうとする意欲に驚き
仕事という単純なものではなく、一生を建築にささげる建築道のような
姿勢に魅了されてしまった。
なるほど、建築とはそういうものなのかと
新鮮な気持ちでワクワクしながら読み進めたことを思い出す。
その後、いろんな分野の本を読んだり、知ったかぶりして美術館に行ったり
日本中を旅して廻ったり、ヨーロッパを一人旅したりすることになった、
まるでこの本に書かれてることをなぞるかのように。
今回、自分の人生に一番影響を与えた本ということを考えることによって
忘れ去られるかのように本棚に眠っていたこの本を取り出してきた。
建築を学び始めた学生の頃以来、見向きもしていなかったこの本が
今思い返せば自分にとって重要な一冊になっていたんだと、改めて気付かされた。




2、自分と似た感性の人だったら、多分面白いんじゃないかなあ~と
  おすすめする一冊は?











「宇宙船地球号操縦マニュアル」

著者 
バックミンスター・フラー












「偏狭な近視眼的専門分野だけに終始するのではなく
出来る限りの長距離思考をつかってぶつかっていくことに最善をつくす。」
フラーのこの包括的な思考方法に影響を受け、また建築家を志す学生だった僕は
「イニシアティブをとるのは計画家であり、建築家であり、技術者なのだ。
仕事に取りかかってほしい。」
という言葉に完全に踊らされた。
そして
いかに全ての思考方法や出来事を出来るだけ連携させ機能させていけるかという
物事を包括的に捉える思考を持つよう常に心がけるようになった。
今の時代にも通用する前衛的で刺激的な発想は
新たな思考回路を刺激してくれると思う。

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「建築」という職業に関わる若者達にとって、安藤忠雄の影響力は相当なんだろう
(いち施主として、安藤忠雄の作った家に住んでみたいかといえば
それはまた別の話になるけど)
地方から出ていって、イマイチ方向の定まらなかった平松くんに
「建築って可能性あるやん!」と知らしめたのだから、やっぱりスゴイなあアンドウ!

「宇宙船地球号」なんて魅力的なヒビキなんだろう
ファンタジーものかと思ったら、作者のフラーって建築家でもあり
思想家でもあるんだ
しかも「変人好き」の私には、引かれる匂いがプンプンしている
今、エネルギー問題に対して
私たちの選択がこの先の地球号の行方を決めるといっても
過言ではない時代に直面している
このフラーの思考は一読する価値のあるもののように思う
ものすごく興味深いなあ、読みたいなあ、今度貸してね!

ヒラマツグミの事務所に遊びに行った時
本棚に置かれた「アースダイバー」という本を見つけた
人類学者であり宗教学者である中沢新一さんの本だ
へえ〜こういうのも読むんだと、がぜん平松くんの中身が気になってきた
早速、貸してもらっって読んでいると、ところどころ、線が引かれている
たとえ鉛筆とはいえ本に直接線を引いちゃうんだこの人
おもしろ〜い!
たった一冊の本で、ものすごく平松くんへの興味が変わる
やはり、本というのは深いものだなあ…

2011/10/19

奇人は世界を征すーエキセントリックー

「エキセントリック」奇人は世界を征す
著者 荒俣宏

























憧れている言葉がある
「博覧強記」
(広く書物を読み、それらを非常によく記憶していること。知識が豊富なこと)

荒俣宏さんを紹介してる文には必ずこの言葉が記されている
そして「本」に使ったお金、使った時間
その情熱というか取り組みの姿勢といおうか
常軌を逸するエピソードの数々も書かれている
自分はマンガが好きだし、魚とかウニが好きだし、相当に趣味が変だから
自分自身が相当にしっかりしていないといけない。
お金持ちになるとか、モテるとか、おいしい食べ物とか
もう世間並みの幸せはあきらめよう
と、7、8歳の頃に考えたそうだ。
そして、そのように人生を歩み、現在もたくさんの著書を残していっている
時間が余るからと読書するのではない!
読書のために他の「楽しみ」をあきらめてしまうのだ!

私はもう…自分で「本が好き!」なんていってるのが、恥ずかしくてなってしまう
残念な事だけど「本」が主役の人生を行き切るには
あまりにも欲深く、あまりに俗物だ…

荒俣宏によるエキセントリックの定義とは下記のとおりだ
奇行に走る事を意味しない、まして自己を顕示することではない。
中心から外にいること。周辺にいて、中心の権威に属さない位置。
その位置を保ちながら、しかも中心を脅かす。
隠者であろうとしながらも、常に他者に影響を及ぼす存在である。
第一部でエキセントリックとして紹介されてる人たち
まず粘菌の研究者として有名な南方熊楠
年中裸で暮らし、カンシャク持ちで、お酒をたくさん飲むとかの
奇行の部分のみが世間に伝わっているが
明治初期に単身海外に出かけサーカス団に入ったりしながら
世界中をまわり、独学で19カ国語もマスターし
帰国後は在野の学者として博物学、民俗学の研究を続け
日本の博物学研究を世界的レベルに高めようとした人だ

その仲間として
植物学者の牧野富太郎、明治期から昭和初期のジャーナリスト宮武外骨
画家の岸田劉生などを取り上げている

そして水木しげるさんと一緒にパプアニューギニアへ旅した話
なぜか、清田益章さん(この頃超能力少年として話題だった)との
念写の実験の話などもある

第二部では海の向こうのエキセントリックとして
ウィリアムブレイク、スティーブン・ホーキング、アラン・チューリング
なども紹介している

私は個人的にウィリアムブレイクに興味を持っている
大江健三郎の「新しい人よ目覚めよ」という作品を読んで
ウィリアムブレイクという人物を知った
18世紀の画家であり詩人だが、作品が好きとかそういう興味ではない
彼は「幻視(ヴィジョン)」を体験する「感応者(センシティヴ)」だ
ブレイクは芸術家の持つイメージは生まれながらに備わるもので
決して後天的には獲得されないと信じていた
教育されたものではない、生まれつきもつ自前のイメージ
それを表現するものが「美術」であり「詩」である
彼にはありもしない光景が、視覚図像として細部までありありと見え
彼のほとんどの作品がこの「幻視」によるイメージを表したものだ
そして「天使」と「死んだ弟」と、霊的に話すことができた
霊媒を通さずダイレクトに話すということ、それにヒントを得て
他の専門技術者(版画の場合彫る人、刷る人、色を付ける人など)を介さないで
ダイレクトに銅板に書き込む版画の新しい技法なども発明したりしている
(ブレイクに関しては、あまりに話が逸れそうなので
また改めて書いてみようと思う)

第三部は「コレクターの奇説と愉しみ」と題して
コレクターと呼ばれる人たちの、おかしなこだわりやら
それ集めてどうすんの?って思ってしまうコレクションが紹介されている
そしてこんな一説が  
「女は現金と宝石しか集めない」傾向があると思う
これらは最初から「宝」として認定されたモノで
誰が見てもその価値を理解できる
そうでなければ女はそれを集めない
男はガラクタ玩具を集めたがる
他人にはまったく無価値に見えれば見えるほど
悲しく、嬉しい。
自分だけが価値を見つけ、宝に変えられるのだから
この悲しさが好きな人のことを「マニア」と呼ぶ
と書かれてるが…

好きになった人を妹に紹介した際に
 「ねーちゃん、マニアにもホドがある」と諭された経験を持つ私
この文章の意味がわかるような…
わかりたくないような…






2011/10/09

グアテマラの弟


「グアテマラの弟」
著者 片桐はいり

女優の片桐はいりさん
テレビで見てたら
個性的で不思議な人だなあと
思ってたけど

この本を読んだら
すごく好きになった

友達になりたい

旅のどこかでばったり会って
一緒にお酒をのんで
おかしなダンスを踊ったりしたいなあ〜





「人は見た目では無い」と簡単には言うけど
納得できない事が私には多々ある

この本の中でテレビに出始めた頃の事をこんなふうに書いてる
「今まで、もてあましていた細工の悪い四角い顔が
笑いばかりかそこそこのお金まで生む事を知ったのだ
埃をかぶったがらくたが
ちょっとしたお宝だったことを発見したような幸運である」

なかなかそんなふうに考えられる人は少ない
「演じる人」という自分とはまた違う自分を持つ事ができて
それが評価されて「仕事」になったから言える言葉なのかな
「片桐はいり」というキャラクターのインパクトは絶大だもの

顔が商売道具で、ベッピンさんだけが売りだと
衰えていく自分に納得がいかず、ちょっとつらい事も多いだろうけど
この人なんて年取れば取るほど、周りにもおかしな人が集まってきて
楽しい事が起こりそうな雰囲気に包まれている
うらやましいような、勇気づけられるような、そんな気持ちになった

このエッセイは、ある夏、片桐家の長女であるはいりさんが
年子の弟の住むグアテマラ、アンティグラを訪ね
体験した事、感じた事
そして家族を思い、その関係の変化などが主題

弟さんは学生時代にメキシコから南米の旅のあと大学院を卒業後
再び日本を離れ中米のグアテマラ共和国という国で暮らし始め
おまけにグアテマラ人の奥さんとその人の連れ子がいて
現地で語学学校やら薬屋さんやらを営んでいる 

ササイな出来事に民族性というものを感じる事は
差別的な意味合いではなく、ある
このエッセイで本物のラテンの人たちの様子を読むと
私たちが普段使う「なんか、あの人ラテン系やなあ」という意味が
まだまだ、アマイという事を教えられる
かなり、おおまかな性格の私も
ちょっと、ラテンの国の気質にはついていけないかも
と考え直さずにはいられない

目の前に待ってるお客様がいても
シエスタの時間は必ず守られる
他の事にはルーズなのにこの時間だけは厳守されるらしい
多民族が混血してるから見た目の個性が違ってるのは当り前
太った人に「ふとっちょさん」「おデブさん」的なあだ名は
ちっとも失礼な事ではなく、これも当り前
ほんの少しの仕事も分け合い
皿を洗う人はホントに皿を洗うしかしない
拭いたり、片付けたりは、また違う人の仕事
それを「効率」なんて言葉で「早く安く自分だけが儲けられるように」なんて
考え方をする人は少ないようだ

それにしても フツーの日本人はかなり窮屈に暮らしているなあと
再認識もした

おおげさでもなく、観光客目線でもなく
淡々とグアテマラでの日々を書いているが
目のつけどころが
「そうそう、もし私がその場にいても、それが一番気になるわあ」
と思う所が多い

片桐はいりさんは女優さんだし
ホントのところはわからないけど
でもきっと気の合う人のような気がした!!!


2011/10/01

どんな本読んでるの?桜井秀峰さん

「「どんな本読んでるの?」という企画を思いついた時
まずは知り合いから紹介という事になるから
「テマエミソ」にならにように
紹介する人物をほめすぎないようにしようと決めた

だけど、今回紹介する桜井秀峰さん(アライからはさくちゃんと呼ばれる)
「そこはあかんやろお〜!」と突っ込むところが見つからない
私は「人にはキビシイ」が常である
突っ込むところが見つからないという事は
さくちゃんに突っ込みどころが無いのではなく
そんなに深くさくちゃんを知らないって事なんだろう

知ってる事は
自然が好きで、サーフィンが好きで、家族を大事にしている
現在は湘南に住んでいて、劇団員、演出家等の仕事を経て
桜井フルートの後継者として、フルート制作の仕事をしている
彼のホームページを見れば分かる事ばかりである




















4、5年前に淡路島へのサーフトリップの途中
ゲストハウスへ泊まってくれた時が初対面

それを機会に他の友人も交えて…
渋谷のハチ公前で会った。
東京タワーが見えるおしゃれなバーで会った。
私の身体が挟まって動けなくなりそうなせま〜い階段を
登ったところにある5席しかないおかしなバーで会った。
神戸のキラキラで会った。
さくちゃんの家族が住む、湘南の家で会った。

人との「関係」というものを考えてみる

一緒にご飯食べて、お酒飲んで、話して
そんな「楽しみ」ばかりを共有してる関係は
表面だけ取り繕ってる「薄い関係」なのか!?
だけど
生い立ちから現在までを知っていてもその人の「すべてわかる事」は難しい
夫婦として長く一緒に暮らしていても相手の事を
「わからなくなる事」は起こるらしい…
なかなか「関係」とは、ややこしい

「関係」を良好に保つための要素のひとつとして
私にとって一番大事なものは個々が持つ「人の善さ」だ
「意地悪では無い事」「人のマイナスが自分のプラスだと思わない事」
そういう事が「人の善さ」だと思う
そして「縁」
付き合いが広がってゆく時期
1人の人とだけ深く付き合っていたい時期
誰にも会いたくない時期
人はそれぞれだから、お互いのそんなタイミングが上手く合った時は
新しい「ご縁」になって、なんらかの「関係」がうまれるんだろう

たまたま縁あって知り合ったさくちゃん
たまにしか会わないから「いい人」に思うのかもしれないし
楽しい時だけのよそ行きの顔しか知らないのは「薄い関係」なのかもしれない

だけど、ちゃんとわかるものなのよ「人の善さ」は
そして、なんとなくわかるものなのよ「気の合う人」は

「桜井くん、どんな人?」って聞かれたら、きっと「いい人だよお~」と答える
欠点が無いという意味ではない
多分、ものすごく欠点はあると思う
でも、現在の私とさくちゃんの、この距離の人間関係の中では
「いい人」な存在だ!

そんな私にとっては未知数いっぱいのさくちゃん
さくちゃんにとっても、私の事をものすごくよく知ってるわけではないのだから
突然、本について答えて〜ってメールがきても
迷いに迷ってるだろうなあ…と想像

*下記のみメールで質問して、さくちゃん本人にメールで答えてもらってます
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1、自分の人生に一番影響を与えたって思う一冊は?

「驚異の記録 あの事件を追え」
著者:大野 進





たぶん、小学校2年生くらいに親にせがんで買ったもらった本です。
内容は昭和の年代を中心に起きた大事件を怖いイラストと
細かい分析で解説しています。
三億円事件、よど号ハイジャック、帝銀事件などなど。
子どもが読むにしては難しい専門用語や時代背景を、
端折る事なく結構骨太な文体で書かれています。
いろいろな本を読んできましたが、元を辿るとこの本に行き着きます。
幼少の頃から、大きな事件や大事故などに興味があったのですが、
この本を読んでから事件の背景とかを細かく調べるようになってました。
親には新聞記者になると言ってたみたいです。
今でも手放さないでずっと手元に置いていて、たまに読んでいます。





2、自分と似た感性の人だったら、多分面白いんじゃないかなあ~と
おすすめしたい一冊は?


「レディ・ジョーカー」
著者:高村薫












高村薫作品は全部好きなのですが、特にこれが好きです。
いやー、読むのに一苦労なくらいに、とにかく描写が細かい。
ディティールの嵐。サクっと軽くは、読めません。
読了した時は、感無量です。
でも、一度読んでしまうと何度も何度も読んでしまいます。
しかも途中から読んでも楽しめます。
そして細かい描写から立ち上がってくるスケールの大きさに圧倒されます。

そう、まるでシェイクスピアのように。なんてね。

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「あの事件を追え」
年期の入った表紙、古くさいイラストが微笑ましい
それにしても子供向けとは思えない恐ろしいイラスト
10歳くらいの桜井少年には、ものすごいインパクトだったんだろうなあ
さくちゃんの少年時代はまったく知らないけど
好奇心旺盛で正義感の強い、そのくせちょっとシャイな
案外じゃまくさい子だったんだろうと想像してしまう

高村薫の「レディジョーカー」
実は図書館で借りたのはいいけど、そのディティールの嵐にやられて
断念して飛ばし読みだけして、返却してしまった記憶がある
そーかあ、一度読んでしまえば大丈夫なのかあ
頑張って読んでみよう

さくちゃんがどんな本を紹介してくれるのかは
想像がまったくできなかったけど
「ウケ」を狙って、ちょっと外すとか
そういう芸当がまったく無くて
ストレートに真面目に、考えて答えてくれたのが
すごく伝わってくる選択だ

やっぱり「善い人」だよお!

2011/09/25

どんな本読んでるの?久住有生さん

もう20年近い付き合いだ、20歳の頃の彼を知っている

「左官職人」というイメージはものすごい地味なおっさんのイメージしかなかったけど
Tシャツにデニム、かなりの寒い日でも足元はビーサンという彼の姿に
「左官職人」のイメージがかなり変わった

20歳の頃から色々な夢を語っていた
「いつか世界へ」そんな話も少々ホラ話気味に聞こえてた
あれから20年、そんなホラ話は、山あり谷あり運ありで現実に!
現在、活動拠点を東京に置いて「左官株式会社」を設立
左官職人久住有生として
テレビやら雑誌でも紹介されるようになっている


























アライ図書館のコンセプトについて話してみた
返ってきた言葉は
「あらいさん、だいぶヒマなん?」
(まあ、そうなんだけどね)

そんなやり取りのあと
どんな本に影響を受けたのか話を聞いてみた

それまでのナンバーワンは、小山ゆうの漫画「おーい竜馬」だったらしいが
高校2年生の夏休み
幼なじみの友人からすすめられ、読み始めた事がをきっかけになり
「本を読む事」に目覚めたようだ
司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読み、宮本武蔵を読み
海外の首脳(多分この頃はサッチャーとかゴルバチョフとか)
たちの自伝を読む
そういえば、彼が淡路島に住んでいた時の部屋の本棚には
「落合信彦」がずらあ〜っと並んでいた事を思い出した
その時はその読書傾向の単純さと分かり易さを微笑ましく思ったのだが

(今回は下記部分はアライの聞き取り)
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1、自分の人生に一番影響を与えたって思う一冊は?

    「武士道」
     著者:新渡戸稲造

「17歳の頃は、新しい知識がスポンジにしみ込む水のように
どんどんしみ込んできていた
記憶力もしっかりしてて一度目で見たものを
そのまま細部までもう一度思い浮かべられるくらいだった
そんな頃、読んだこの本の言葉のひとつひとつが今の自分の基本になっている
まったく「生き方」というものに指針がなかった時に出会い
自分を律するという事を学んだ
具体的には仕事への取り組み方として‘しんどい事’が好きになった」


2、自分と似た感性の人だったら、多分面白いんじゃないかなあ~と

おすすめしたい一冊は?



     「日本人のしきたり」

     著者:飯倉晴武


「新幹線に乗っている間の時間つぶしにと買ってみたら、面白かった
行事として普段何気なくやっている事のひとつひとつに意味があり
日本語の言葉に秘められた意味の深さにもなるほどと感心して、興味深く読めた」

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彼の父は有名な左官職人、建築界からも一目置かれている久住章という人だ
幼い頃から生き方のレールのひとつとして「左官」という職業があり
この父から3歳にしておもちゃ変わりにコテを持たせられて鍛えられているのだ
まったく他人の私でさえ、この父章さんの
「そろそろ自分の店出したらええやん、思ったら、はよせな」という一言に押され
今のお店を開店し
上手くいかなかったらどうしよう?と思う心細さを
「人生は運と縁やあ、なんとかなる」という言葉に支えられている

(裏話だけど
私の店は、2000年に使われなくなったフェリー乗り場を改装して作った
カウンター等、天井に至るまでほとんどが
久住有生左官(その頃の名称)で施行されているという贅沢さ
そして正面の壁は久住章、有生、誠、の3人が同時に現場に入って
塗ってくれたというアリガタイ壁だ!
仕上がってみると施主である私の想像以上にパキパキに割れている!
有生親方いわく「計算どおりや!」
真偽はいまだ私の中ではナゾである)

淡路島の自然の中で、やんちゃに自由に育った幼い頃の彼の話を聞くと
「いくら子供だからってそれはあかんでしょ!?」と優等生口調で叱りたくなる

近所のおばちゃんたちはそんな「田舎のわんぱく坊主」から
今の彼を想像するのは難しいらしい
職業を「スーパー左官」と、しゃれで何かの取材で答えたら
「なおきくん、どこのスーパーで働いてんの?」と聞かれたくらいだ

今回、短い時間だったけど改めて本について話してみて思った事は
やはり彼は「動」の人である
本で身に付けた事は「知識」であって
彼の生き方の「道しるべ」にはなっていない
彼が本当に学んだのは
「父」からであり
「サーフィン」からであり
「さまざまな人との出会い」からであり
「仕事での実際の体験」からなんだろう

「この美しい物体は、熱いから触ると火傷する」って書かれていても
彼はその美しい物体を見つけたら、きっと「触る」
そして「火傷」してから、やっと今度からは触らないでおこうと学ぶんだろう
「書いてるもの」を読んでも「熱さ」は学ばない























おしまいは
「アライさん、こんなんしてるヒマあったら今すぐ結婚相談所行ってこいよお
100人会えば、1人くらいええ人見つかるから」

今回の彼から私への心からのアドバイスであった!

2011/09/16

私の美の世界

「私の美の世界」
著者 森茉莉

「私の美の世界」と題されたこのエッセイは1968年が初版となっている
箱入りで古めかしい装丁
























この作家の事をよく知らない
今さらだけど、 wikiや他の人が書いてるブログで
作品解説とか本人のエピソードなどを読んでみた

明治期に軍医としても文人としても有名な森鴎外の長女
とっても不思議な人だ
協調性とか、ガマンとか、おくゆかしさとか、大正から昭和の時代に
女性として当然とされてた部分がかなり欠落しているように思う
父親から溺愛され、お手伝いさんたちにかしずかれて育ったせいなのか
いくつになっても中身は、お嬢様のままだったのだろう

茉莉が20歳の時、結婚生活のためパリに滞在中に、鴎外は亡くなっているが
鴎外をパッパと呼び、私の恋人と呼ぶ茉莉にとって
幼い頃から「父に溺愛された日々」が森茉莉という一個人の
アイデンティティの大部分をしめているようだ

鷗外の紹介で結婚して、2人の子供をもうけるが
家事、育児にまったく興味が無かったようで、離婚

その後、仙台の大学教授に嫁ぐが
「デパートも、お芝居も無くてこんなところは嫌だ」と言ったところ
「じゃあ、お芝居でも見ておいで」と東京へ行かされ
そのまま実家に返されるという、荒技で離婚される

そして、晩年は下町の狭いアパートでの一人暮らしとなる
長く無職で暮らすが、鴎外の印税が入らなくなり
54歳にして作家として執筆を開始

家事全般は苦手だったようで、ゴミが地層になった散らかり放題の部屋で
お気に入りのこまごまとしたものを周りに置いて
こだわりの食材(贅沢という意味ではない)で自分のために料理をし
耽美的な小説、過去の思い出、日々感じる事をエッセイとしてを書いていたようで
この頃のエピソードとか、語録などを読んでみると
少々イカレタばーちゃんぶりを発揮してて面白い
特に、キライな人に関しての悪口とか悪態は本当に辛辣で面白い

1987年、自室で死後2日たってから発見される
心臓の発作のようで享年84歳

それから24年後、ふと自分の老後が気になった私は
美に対する鋭敏な本能をもち、食・衣・住のささやかな手がかりから美をつかみ、〈私の美の世界〉を見出していく著者、多彩な話題をめぐって人生の悦楽を語る珠玉の随想。 
と帯に書かれたこの本を思い出して、再読してみた

「貧乏サヴァラン」と題されたエッセイはおもに食べ物の話
全体に漂うフルクサイカンジは否めないが
茉莉が書いたたべものは
ものすごい輝きを持った特別な食べ物に思えるからスゴイ!
幼い頃に舌が覚えた味の記憶は、鮮明に残っているようで
なんとか工夫しておいしく食べようとするその執念もスゴイ!

「夢を買う話」で、源氏物語について書かれた文章は
紫と源氏のやりとりを文学として至上と書いているが
架空の人物とはいえ、光源氏を「気持ち悪い自分勝手な男」と思ってる私には
まったく共感できるはずもない

一杯の紅茶で喫茶店に一日中座ってる事も、効率の悪い料理方法も
なぜか「茉莉ならではの上等」になるようで
その矛盾というか、自分勝手さに
「茉莉さん、あなたがそれを言っちゃうの?」と突っ込みどころがいっぱい

作家本人に社会性や品行方正を求めるつもりはまったくないが
知れば知るほど、リアルな知り合いにはいて欲しくないタイプだ
読み終わっても「美しい文章で、着眼点も面白いなあ」と単純には楽しめない
なんだかなあ〜という気持ちがどこかに残る
随分昔にこの本を読んで、その時も「なんだかなあ〜」って思った
でももっと私が年を取ったら、この繊細な世界がわかるのかもと思ったけど
残念ながらまだ、理解できない
森茉莉の「美の世界」はたとえいくつになって読み返しても
現実的でガサツな私には「相容れないモノ」なんだろうか!?

今は
「私は、こんなばーさんに、ならないよう心がけたい!」
と誓うばかりだ

そして「こだわり」とか「幸福感」について少し考える
森茉莉は、老後のそんな生活を自由で幸せだと書いているが
自分が見たくないものは、見ないようにして
ゴミだらけの部屋も、お気に入りのタペストリーとタオルしか目には入ってなくて
この人にとって、自分はいつまでも森鴎外が一番愛した「お茉莉」で
住んでる部屋はパリのアパルトマンの一室だったんだろう
色々、わかってはいたけど、わからないふりをして自分を納得させてたのかなあ!?

あまりに「森茉莉」という作家本人が不思議で面白くて
作品の感想というよりは「森茉莉」の感想になってしまった
(もしかしたら、森茉莉について書かれた他の人の本を
読んだほうがよかったのかもしれない…)


2011/09/08

高野聖

「高野聖」
著者 泉鏡花

「コウヤヒジリ」と読む
泉鏡花(イズミキョウカ) 1900 年の作















電車の中で読んでたら、降りる駅を乗り過ごした
「よくある事」では、ない!
電車のない淡路島で育った私にとって電車に乗ってる状況というのは
未だに緊張感が抜けず、ふだんは絶対に居眠りもしない
そんな緊張感を吹き飛ばすほど集中して物語の中へ入ってしまった

言葉の言い回し、仮名使いも独特で、ものすごく読みにくい

ほどなく寂然ひっそりとしてに就きそうだから、汽車の中でもくれぐれいったのはここのこと、私は夜が更けるまで寐ることが出来ない、あわれと思ってもうしばらくつきあって、そして諸国を行脚なすった内のおもしろいはなしをといって打解うちとけておさならしくねだった。
 すると上人は頷いて、わしは中年から仰向けに枕に就かぬのがくせで、寝るにもこのままではあるけれども目はまだなかなか冴えている、急に寐就かれないのはお前様とおんなじであろう。出家しゅっけのいうことでも、おしえだの、いましめだの、説法とばかりは限らぬ、若いの、聞かっしゃい、と言って語り出した。


そしてこの上人(高野聖)が語る、若い修業僧だった頃
深い山中で迷い、たどりついた一軒家での不思議な話がこの物語だ
高野聖とは、高野山に籍を置く僧の事

山の中の一軒家には不思議に美しい女の人がいて
この女の人のトリコになると、男どもは動物に姿を変えられてしまう
この上人は徳が高かったのか、無事に人間の姿のままで帰る事ができた

…と、そういう話

ひとつひとつの場面が妖しく、意味深である
読みにくい文章なんだけど、じっくり読むと
その場面が極彩色で浮かんできて、心がぞわぞわしてしまう

昼間なのに夜のように暗い森で、体中を蛭に吸い付かれる場面
美しい女の人に、森の中の色んな動物が(姿を変えられた男の人)が
まとわりついてくる場面

文章は自分の中でどう画像処理されているのか考えてみた
完全な映像で浮かぶ場合は
やはり事前にテレビドラマ化されたものとか、映画とかを見て
ある程度主人公の顔、形がインプットされてしまってる場合が多い
反対に物語を読んでいるうちに
ある俳優さんや女優さんの顔が浮かんでしまったり
特定の建物を浮かべてしまう場合もある

そのへんは作者の意図として
こちらが想像しやすいように書いている場合もあるだろうし
時代もまったく架空で、名前も国籍が確定しにくい音をあえて選んで
具体的な想像を持たないように書いてる場合もあるだろう

「高野聖」は時代も少し古いし、文体が古めかしいので
具体的に映像が浮かぶわけではないけど
はっきり輪郭を持たないモノがたくさんの色を持って浮かんできてしまう
上手く表現できないけど
心がぞわぞわしてしまうかんじなのだ

2011/09/04

アマニタ・パンセリナ

「アマニタ・パンセリナ」
著者 中島らも

学生時代、サラリーマン時代のダラダラ具合とイカレ具合は
エッセイや小説のネタになってて
その滅茶苦茶な生活ぶりを読むと
灘高から、大阪芸大、サラリーマン、フーテン
酒量もクスリもどんどん増えていって、本人もどんどん壊れていって
繊細なお利口さんは、困ったもんやな〜と思う
物書きとなって自由度が増してからの、
薬物依存、アルコール依存、激しい躁うつなどは
入院しようが、オカシナ色のオシッコが出ようがまったく改善されず
晩年はますますの壊れっぷりを発揮、そして2004年
酩酊状態で階段から落ちて全身打撲、脳挫傷、
そのまま意識が戻らず52歳で死亡


中島らもの作品として紹介するなら
彼の代表作と言ってもいい長編小説「ガダラの豚」を紹介すべきなんだろう
(アフリカのブラックマジックやら、呪いやら、超能力少年やら豪華な出演者)
だけどここは、あえて「アマニタ・パンセリナ」
















タイトルのアマニタ・パンセリナはディズニーのアニメとかで
森の中の描写に出てくる真っ赤なカサに白い斑点のテングダケの学名
そう、毒きのこ

全編、ドラッグに関するエッセイだ

某雑誌を見て
南米かどこかの奇祭のルポで、男たちがたき火のまわりで
ガマガエルを口にくわえて踊ってる姿に、なぜか納得するらもさん
どうやら
「幻覚性のアルカロイドはほとんど植物から採られる
動物性のものとしてはガマガエルに含まれるくらいである」
という記述を読み、「ガマなめ」が気にかかってたようだ
ガマガエルの毒の成分のひとつは幻覚作用を起こすらしい
ガマをなめてトリップできる事を確信し
ガマの事は一応納得したように書いている

そして
アマニタパンセリナに含まれる幻覚を起こす成分ムシモールが
合成されて殺虫剤に使われていると知れば
「殺虫剤を吸う人」さえいる事に

ガマをなめ、殺虫剤をかぎ、毒キノコを喰らい
都市ガスやフレオン、硝酸アミル、ブタンを吸う連中に
「どこへ行こうというのか」
と問いかけるところからこのエッセイははじまる

目次は
睡眠薬、シャブ、アヘン、幻覚サボテン、咳止めシロップ、毒キノコ
有機溶剤、ハシシュ、大麻、LSD、抗うつ剤、アルコール

そういえば、サーフィンも、マラソンも、極めてくると
何らかの快感物質が自分の身体の中で生み出されて
一種の中毒に近い状態になるようだ
極めた最後に、自分自身の中に生まれるもの
それは「快楽」という名だったり
「悟り」という名だったり
「万能感」という名だったり

きっと、何らかの成分が身体の中に生まれて
それが作用してそんな「気持ち」を生み出すんだろう

もし、身体を酷使して極めなくても
ある種の「クスリ」でそんな「快楽」「悟り」「万能感」が得られるなら
そりゃあ、試してみたくなるのかもしれない

この本の中でも、らもさんは故・澁澤龍彦さんが
「滝で打たれて十年で得られる感覚が、ドラッグによって得られるなら
それはまったく同じ事なのであってドラッグをどうこういういう筋ではない」
といった旨で書かれた文章に多いに賛成し
鍼の先生に
「脳内麻薬のエルドフィンを鍼で増加させるツボはないのか?」
と聞いてたりする
その先生の答えが面白い
「苦痛になるツボを刺激し続けると、
つらいのを緩和するためにエルドフィンが出てくる」
う〜ん
この鍼の先生タダモノではないなあ!

だけど、そんな「クスリ」でお手軽に
「快楽」「悟り」「万能感」なんてものを手に入れたら
身体も心も、取り返しのつかないエラい事になってしまう事も
ちゃんと書かれてるから、そこをしっかり読んでね!

そして最後の章は
「ラストドラッグ アルコール」となっている
らもさんは、アルコール中毒とうつ病での入院のあとの
この本の最後の一行に
「酒はいいやつである、酒自体に罪は一切ない、
付き合い方を間違うと僕のようになってしまうのだ
僕はもう飲もうとは思わない
あの奇妙なプールであがくのは二度とご免だからだ」
と完全な断酒を宣言していた

だけど、
だけど、
死因を見ると結局はやめる事は出来なかったようだ

自戒の念をこめて記しておこおっと!

2011/09/03

どんな本読んでるの? 溝尾一男さん


小学生だった溝尾一男くんの記憶の中には
高校生のおこりんぼのコワイねーちゃんとして、私が記憶されてるらしい…
うちの母が飲食店をやってた頃、ものすごいご近所に住んでたらしい…
らしい…と書くのは
おこりんぼのねーちゃんは、高校生ともなれば勉強にクラブに恋に忙しく
溝尾少年の記憶がまったく無い!

そして、30年を経て
少年は、チッカーズカフェなるデザイン事務所を嫁と立ち上げ
エイチエアーのポストカードを作ってくれたり
父となって、またまた何のご縁か、家族ぐるみでご近所さんとして
あの、おこりんぼだったねーちゃんと仲良く付き合ってくれてるのだ!



ひょうひょうとしたマイペースな人だ
そんな人を装っているのかと思ったが…そうでもなく
ホンマにマイペースな人なのだ
知り合いに「あの人ちょっと変わってるねえ〜?」って聞かれたら
「だいぶ変わってる」って言ってしまう
だけど、決して「エキセントリックでわがまま」な変人ではない
ちゃんと、仕事をこなし、世間と折り合いをつけて
その上でマイペースに「変人」をこなしてるのだから
なかなか、たいしたものだと思ってる

「本棚」をキーワードに色んな人やお店を紹介をしてみたいという
まったく個人的な趣味の企画を思いついた時も
まずは「溝尾くんとこの本棚写して、ブログに載せてもいい?」
って頼んでみて
第一回めの「アライ図書館本棚紹介」を引き受けてもらった

かなりの量の本は実家に置いてきてしまってるらしく
仕事場にある本棚は、コギレイにレイアウトされてる



















年期の入ったレタリングの専門書がまず目に入った
付せんもはられ、使い込まれている
大事にされて役に立ってる本は、擦り切れ具合さえもかっこいい!
私は人の本棚を見た時
こういうさりげなく使い込まれた本を見るのが好きだ

だけど、気になるのは、どんな本に影響されてるのか?って事
アライから2つ質問をしてみたので…

*下記のみメールで質問して、溝尾君本人にメールで答えてもらってます

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1、自分の人生に一番影響を与えたって思う一冊は?

   「なまけ者のさとり方」(地湧社) 
    著者タデウスゴラス 
    訳者:山川紘矢山川亜希子

この本は、1995年(23歳の頃)にひょんなことから思い立って
部屋と仕事と物をすべて捨て(友人にあげて)
世捨て人のように、必要最低限の生活道具だけもって
自転車プー太郎時代に出合った本です。
ある食堂の小汚い本棚にその本があり、不思議と目にとまりました
でもそのときは、それだけで手にする事もなく店を後にしたのですが
また別のところでもその本を発見してしまってと...
そんなことが幾度かあって、出会いから数年たち
観念して購入に踏み切った本なんです。
わたしは、この本をもう30回くらい読んでいます。
いわゆるニューエイジ系の本であり、
オカルト本とかトンデモ本のジャンルにも
名を連ねる"いかがわしい本"なのですが、
わたし自身いかがわしい人間ということもあり
不思議と馬が合う本といえばいいでしょうか。
ときどき、読み返したくなる腐れ縁の友人みたいな本なんですね。

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2、自分と似た感性の人だったら、多分面白いんじゃないかなあ~と
  おすすめする一冊は?

  「 姓名判断 ~安斎流で運をつかむ~」(説話社)
   著者:安斎勝洋

この本は、2004年(32歳の頃)に妻がお腹に長男を宿したときに
職場の後輩(わたしの引き継ぎ)からプレゼントされた本です。
「名前はとても大切なので、はじめて生まれてくるお子さんに」と....
彼のお兄さんがたどってきた翻弄の人生と、
名前にまつわる秘密の話を聞かされて受け取りました。
それから数年後、わたしの友人に子供が生まれるとき
その本をプレゼントしたんです。
プレゼントされた本を
また別の人にプレゼントするなんてと思うでしょうが
何故か、この本はそうしてもいいように思いました。
こうして、この本はすぐに人に貸したりあげたりしてしまうのですが
不思議といつもわたしの本棚にある...そんな本なんですね。
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近所に住んでて、よく話もしてて
本の趣味もなんとなくわかってる気がしてたんだけど
やっぱり、改めて聞くと面白い
私はどちらを読んでみたいかというと、もちろん「なまけ者のさとり方」
よく「この本に呼ばれた」って言い方があるけど
それはやっぱりそうではなくて自分が求めているから
立ち寄った先で目に入ってくるんだと思う
その頃、求めてたんだろうねえ、
世捨て人は、この本を。
私もこの本を知ってしまったから、もしどこかでこの本を見かけたら
今まで、目に入ってなかったのに
今度はきっと見つけてしまうんだろうなあ…

それにしても人におすすめの本が「姓名判断」って???
う〜ん?
深い!深すぎる!深すぎてちょっと着地点が見えない!
色んな意味で「さすが溝尾くん」
と思わせてくれるチョイスでした。